ネット弁慶の勧進帳

「ボケ」っぱなしのニュースに鈍くゆるく、「ツッコミ」を入れていきます。

『明王伝レイ』の頃の「幸福の科学」はそれほど悪いイメージはなかったんですが…

 

 明王伝レイ』というマンガがありました。

 こちらはもなお、変わらぬタイトルで連載の続く

 孔雀王(画風はかなり変わりましたが…w)ともども、

 宗教系マンガはしりであったマンガの一つです。

 

 ご存じの方には蛇足情報ですが、

 宗教系マンガと言っても、これらは説法説教と言った

 教義道徳を書き連ねた退屈なものではなく、

 むしろ、不道徳というか不謹慎というか、

 かなりの"エロ"で、けっこうな"グロ"で"

 ある意味"ナンセンス"な仕様の作品でした。

 

 それでもキリスト教的な神や悪魔

 仏教的な如来や菩薩・天部衆が加わり、

 さらには日本神道的な八百万の神

 妖怪モンスターと言ったファンタジー要素も取り入れ、

 そのあたりのオカルト伝奇ものが好きだった僕は

 今に至っても、ハマり続けているジャンルの作品群です。

 

 そんな感じで愛読していたこの両作品の結末は、

 いかにも少年誌連載のマンガ特有である

 強大な敵をやっつけての大団円で、 

 いわゆるところの

 "世界に平和を取り戻せた"END

 

 そして孔雀王は前述の通り、

 時を越え画風を変え

 神や悪魔と闘い続けています。

 

 で、明王伝レイ』の方はと言うと、

 大団円で終わった直後に始まった第二部では、

 こちらは終わって直ぐってこともあり、

 画風は全く変わりませんでしたが、w

 作風がすっかり変わってしまってました。

 

 それこそ、説法説教を語る、

 普通で真面目な教本マンガになりました。

 

 ただその内容は、小難しく退屈なものではなく、

 教えを説きながらも上手に漫画の世界観にも寄せ、

 読み物としては十分楽しめるものだった記憶があります。

 

 

 ま、タイトルばれもしてるんで、w

 早々にぶっちゃけた話をしてしまいますが、 

 この明王伝レイ』の宗教観は、

 例の幸福の科学」の教義踏襲しています。

 

 マンガの巻末にある参考文献リストには、

 その幸福の科学」系の著作物

 ところ狭しと並び倒していますからね…。w

 

 ま、ウィキペディアをはじめてするネット情報なので、

 その信憑性は定かではありませんが、

 この作品の原作者である菊池としを」氏は、

 当初単なる参考文献として読んでいただけの

 幸福の科学」の教えに徐々に傾倒し、

 最終的には入信した経緯とのこと。

 

 だから、幸福の科学からの

 指示の有りや無しやはわかりませんが、

 この明王伝レイ』というマンガには

 幸福の科学」の教義や世界観が色濃く反映されている、

 そう言っても過言ではありません

 

 ただ、この作品をリアルタイム読んでいた当時は、

 まだ現状ほど幸福の科学にそんなイロモノ感はなく

 僕としてもオカルト系の書籍のひとつって理解でした。

 

 古い記憶なんで、思い違い

 多少の改変はあると思いますが、

 僕の記憶に残ってる、

 教えというか基本理念は、

 

 ____日常常識人として、

     一般人として生きることこそが大切

 

 無理おかしな修行や、

 意味の分からない形ばかりの読経よりも、

 とにかく「普通の人」として生きることこそが重要と説き、

 

 定番の御守御札にはじまり、

 数珠水晶仏像だと、

 うさんくさい霊験あらたかな、

 いかにもなマジックアイテムに対しても警鐘を鳴らし、

 

   ___神仏が"物"に宿るはずがない!!

 

   そう、断言する。

 

 なかでも僕の記憶に残っている中で

 なるほど納得してしまった教えに、

 『漏尽通力』の話があります。

 

 ___ブッダ(覚者)となったお釈迦様こと

    「ゴータマシッダールタ」は数々の超能力を身に着けた。  

    透視瞬間移動

    未来予知他人の心を読む力。

 

    されど、奇跡事もなげに行うことのができる

    そんな強大な力を持ちながら、

    ブッダ最も大切にしたのは、

    『漏尽通力』という能力。

 

    これは言ってみれば、

    そんな「超人的な能力を"使わない能力"」

 

    超人的な力を使って、

    いつでもどこでも奇跡を起こしたならば、

    なるほど世のため人のためになるかもしれない。

 

    でも、それは超能力を使えるものだけ

    一時的即物的なものに過ぎず、

    結果的には人を救うことにはつながらない…。 

 

    人を救うには、「超人」ではなく

    『常人』で在らねばならない。

    そしてそれは「奇跡」ではなく

    『努力』によって成されるべきだ、と。 

  

 

 ま、要するに、超人的な才能や能力があっても

 それをひけらかしたり、見せびらかしたりして、

 

   「オレ様、カッコイイーーー」 とか

   「私の教えに従いなさい!!」  ってな具合の、

 

 自己満足に浸ったり、

 自己完結に陥ったりしてはいけない、と。

 

 

 これは幸福の科学」産の知識じゃないけれど、

  【信じる者は救われる】とか

  【叩けよさらば開かれん】と言った、

 条件付きでしか救ってくれない狭量な一神教と違い、

 

 【一切衆生救うってのが売りの仏教のからくり

 仏様自らが手を下して救うのではなく、

 人間それぞれ自らの内にある【仏性】を磨き、

 身近な「助けられる人」から助けていくという、

 いわばセルフサービス的な救世観なんですね…。w

 

 

 だからこそ、やたらと自己アピールして

 ええカッコしてる奴とか

 必要以上いちびってる連中なんかは、

 仏教の道からは外れてる訳です。   

 

 

 それこそ、

 

    「啓示が届いた」だの

    「霊言が聞こえた」だの、と

 

 おかしなカッコおかしなこと言ってるどこぞの教祖様は、

 『仏教の道』からも

 『漏尽通力の教え』からも 

 完全に逸脱してるってことですね…。w

 

 そう言えば、

 いわゆる悪霊と呼ばれる低級霊動物霊は、

 宗教指導者を狙って誑かす、なんて記述

 幸福の科学」系の書籍で見かけた事があります。

 

 盲信狂信の人間を多く引き連れた、

 そのてっぺんの存在おかしくしてしまえば、

 あとはドミノ倒し大勢の信者ごと狂わせることができる。

 

 それを今まさに目の当たりにしてる瞬間ですかね……。

 

 

 ちなみに先の明王伝レイ』を描いた菊池としを先生は、

 その後に『天空の門』という、

 これまた、心霊オカルト宇宙モノごっちゃまぜにした

 僕好みの作品を発表されました。

 (「トンデモ説」等のそっち系を楽しめる人にはオススメ)

  

 しかしこれを最後に例のナントカって若手女優さん同様に

 幸福の科学」専属の漫画家になられたらしく、

 長く菊池先生の次回作とやらには巡り会えぬまま…。

 

 ま、それこそ『漏尽通力』を駆使し、

 皆と同じような日常の中で、

 常識のある一般人として描かれたマンガならば、

 なるほど面白い作品を産み出せたでしょうが、

 

 現状のあんなつまらない宗教の檻の中の超人じゃ、  

 読みたいって期待すら膨らみませんけどね……。